ソロゆるライフ

アラフィフの気ままでゆるい日々の暮らしを記録しています。

飛び込んで得たもの

私はかつてブラック企業で働いていました。


「ブラック企業」というのは今だからある言葉ですが、当時はそんな概念はなく、私もまだ社会を知らない学生だったので、興味を持った企業がハズレだったということになります。


入って1日目でしまったと思いました。
自分の選択が間違っていることを自覚したからです。


配属先の事務所の雰囲気、上司や先輩の雰囲気や言動、勤務実態、会話のすべてが、自分の選択が誤りであったことを証明していました。


無表示で様子のおかしい人がいました。噂によるとうつ病だとか。
月に160時間を超えるサービス残業。
人間らしい生活など皆無でした。


同期の一人は声がおかしくなり、無表情になりました。
ある日プロジェクトメンバーは誰も出社せず、私と上司の二人だけでした。
あまりにも多くのことがありすぎて、書けば一冊の本が書けるほど壮絶でした。


しかし私には1つの誓いがありました。
5年間は会社を辞めないと。
どんな環境でも得るものがある、その中で学び、辞めようと。


それから5年。私は会社を辞めます。
時には片道3時間のお客様先に通勤し、終電で帰るというあり得ない生活をしながらその人を迎えます。


私はその長い通勤電車の中で英語の勉強をし、睡眠不足と疲れから眠ってしまう、そんな毎日を過ごしていました。


なぜ英語の勉強をするのか?
仕事で先進的な企業に出会いました。アメリカのベンチャー企業でした。
そこに入りたい、そう思ったのです。


英語の勉強をしたところで大した英語力も無く、入れる自信も全くありませんでした。
ただ、私は自分の殻を破るために全力を尽くそうとしていました。


人は何かに向かって突き進む時、その先に成功があるかどうかなんて分からないものです。
そこにあるのは現状を変えたい。ベストを尽くしたいという思いだけが私を突き動かしたのだと思います。


結果的に私は無事に会社を辞め、その企業に転職することができました。
それから私の人生は変わります。
安月給で地獄のような生活を続けてきた私。
収入は増え、海外出張に行って世界各国の同僚に会い、世界を知り、そして長い社会人生活を過ごしてきました。


しかし一方で私はひとり親になり、一人で子供たちを育て、そして今に至ります。
壮絶な生活は去ったものの、子育て後半戦も終わるまであともう少しというところまで来ました。


子育てが終わったらその先になにがあるのだろうか?
自分は何がしたいのだろうか?
どんな人生をこれから過ごしたいのか?


あまりにも分からないことだらけです。


そんな時、人生のパートナーだと思っていた人が精神的に壊れ、どうしようもない状態となりました。


結局人はひとりぼっちなのでしょうか?


例え夫婦であってもどちらかが先に天国へ向かいます。


いつかは一人になるのだとある日気づきました。


だから私はこれからの人生は友人が大切なキーワードなんだと思うようになりました。


そして男性というものは趣味を通じて人間関係を広げることが出来るのだと思うようになりました。


仕事ではないところがミソです。


利害関係の無い純粋な友人関係こそダイヤモンドのように価値があるものだと感じます。


一方で今働いている会社も定年まで雇用してもらえそうにありません。


いつまでもこの20年以上働いた会社にいられないということです。


ならばいつかはこの会社を辞めなければならない。


さて、どうしたものか?


自分がしたいことは何だったのか?


子育てに追われ、仕事に追われ、生活に追われて駆け抜けてきた我が人生。


それが近い将来、子育てが終わり、職場を追われ、自由にはなるけれども、職にありつける可能性は低く、路頭に迷いそうな自分がそこにいます。


そんな折、テレビでヨーロッパの温泉旅行をしている人たちのドキュメンタリーを見ました。


ああ、そうだ。自分は若かりし頃、世界中の同僚に会い、不思議な時間を過ごしたのだ。


今でも英語漬けでいい加減、英語にはうんざりしていたけれど、人生を豊かに過ごすために英語を学ぶなら、もうそろそろ本気で英語を身に着けてもいいのではないか?


そんな気がしています。


歳をとった自分に英語は覚えられるのか?


これを自問自答するのは野暮ですね。若い頃にチャレンジは結果を求めて出来ることではないことを痛感しているのですから。


私はぼっちで英語を学び、コロナ禍が収束したら海外に目を向けてもいいのかもしれません。


今更、保守的に生きたところで節約は出来るかもしれませんが、楽しい人生がそこからは思い描けません。


確かにあの頃、私は海外で人生観が変わるほどの衝撃を受けたのを覚えています。


この国に留まっていても、所詮は井の中の蛙、大海を知らず、ですよね。


もう一度飛び込んでみることが出来るのかは分かりませんが。


と、ここまで書いてみて、やっぱり勇気が無いから全てをやめて無かったことにしてしまうかもしれません。でも、自由に想像してみることだけはタダですから( ´艸`)


そして子育てはまだしばらくは続きます。


なんとなく感じるのは次の時代に向けての助走期間として何か出来ることはあるのではないかと。


一人で、孤独で、未来が見えなくても、歩き出すことは出来るはず。


トライしてもしダメだったら大人しく帰ってきてひっそりと暮らせばいい。


まだ何も見えませんが、しばらくは思い悩みながら過ごすのも悪くはないのかもしれません。